九州八十八ヶ所百八霊場会
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第6番
医王山 南淋寺 (いおうさん・なんりんじ)
  真言宗大覚寺派
本 尊 薬師如来座像
住 所 〒838-1302 福岡県朝倉市宮野86
TEL 0946-52-0332
FAX 0946-52-1173

 ■ お寺の紹介
南淋寺の歴史
 第57代桓武天皇の延暦23年7月、比叡山の僧最澄(後の伝歓大師)と空海(後の弘法大師)は藤原葛野麿を長とした遣唐使の一行と博多の那の津港(一説には平戸)から船出した。しかし、途中暴風雨に遭い入唐を諦めなければならない状態であった。この時最澄は「無事に唐の国に渡ることが出来たら、お礼に仏像を刻み寺を建てて衆生を救うため一_生を捧げます。」と、仏に祈られ無事に唐の国に到着し、仏教の研究に努力され、翌年帰国された。時に最澄38歳・空海31歳であった。 帰国後、誓願を果たすため良材を求めて筑前の山々を尋ね、ようやく夜須郡の白山(現在の朝倉市古処山)の麓で霊木を見出し、七体の仏像を一刀三礼して彫刻し供養されたが、一夜にしてその七体の仏像は無くなったのであった。最初の一体を秋月(現在の朝倉市秋月)の地でまつる予定であった最澄は仏様のお告げにより上座郡長渕(現在の朝倉市長渕)で見つけ、そこに寺を建立し、仏を奉り「南林寺」と名付けた。
 その後、筑後川の氾濫原にあったためたびたぴ洪水に遭い、八坂(現在の朝倉市宮野)の地に移転した。しかし、たぴたぴの戦火や火災のために災難が続くのであった。 その時、「火事を防ぐために林に水を注げ」とのお告げを得て境内裏手に三つの井戸を掘り(現在の裏庭の池)、「林」に「サンズイ」をつけて「淋」とし「南淋寺」と改めた。以後数百年火災に遭うことはなかった。

七仏薬師とその霊場
第1番    南淋寺       ・・・朝倉市朝倉町太字宮野
第2番    比叡山根本中堂 ・・・京都府比叡山
第3番    宝満山宇智山中堂・・・廃寺
第4番    東光院       ・・・福岡市堅粕 ・・廃寺
第5番    種因寺       ・・・嘉穂郡桂川町・・仏像?
第6番    因幡堂       ・・・京都市四条
第7爵    広降寺       ・・・京都市太秦

南淋寺の変遷と住職世代
〇天台宗時代  大同元年(806)より貞和二年(l346)     541年間
     住職  最澄(初代)より仁能(2l9世)          
           現在地 朝倉市朝倉町大宇宮野(八坂)に移転
          仁能−慈本−仁能と交代した後

○曹洞宗時代  貞和二年(l346)より慶安元年(1648)    302年間
      住職   宗本より76世

〇真言宗時代   慶安元年(1648)より現在          359年間
                    南淋寺創建より  通算 1202年間
     住職   快遍和尚より59世現在住職まで  通算  355世
            (黒田忠之の命により東光院と同じ真言宗にした)
           ※曹洞宗 南林寺は福岡県前原市に現存

文化財 本尊薬師如来像
      国宝         大正 元年9月 3日指定
      重要文化財指定 昭和25年8月29日指定
      梵鐘         応永28年7月 8日  住職正泉和尚時
      福岡県重要文化財
      雲版         元禄l7年1月26日
      清香庵跡より出土  宝町初期の型
      混繋図・南淋寺縁起・絵図・掛け軸など

逸話  鷲の子・国司の妻・病気・出産・早魃・洪水・窃盗・塩について等

曹洞宗時代の資料(縁起より)
 寺領  22町4反4畝
 山林  25町3反

開創1200年(平成17年)を迎える。
 ■ 交通アクセス
 ・西鉄甘木線または甘木鉄道の甘木駅から西鉄バス比良松下車、徒歩15分
 ・大師寺より筑後川を渡って朝倉方面へ右折、ひわたし橋交差点を左折し、
  国道386号線を左へ、橋を渡ってすぐ右折
 ・境内手前に駐車場あり
 
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