(だいげんさん・ふどういん)
寛元2年(1244)下総前司藤原親房が鎌倉幕府の命により平家の残党鎮圧のため豊前代官職を帯びて西下。 建長7年(1255)姓を『門司』と改め現在の古城山を本拠とした。 このとき長野郷より吉志・伊川・大積 蒲生郷より片野・柳・楠原の3郷を拝領し『門司』6ヶ郷の称がおこった。 門司氏は南北朝時代には、一族二派に分かれ骨肉相食む事となる。 その後門司半島は大内・毛利・大友の交戦場となったが、門司氏は勢力劣弱のためしばしば苦境に立った。 天正15年(1587)より毛利(勝信)・慶長5年(1600)より細川(忠興)・寛永9年(1637)より小笠原(忠直)の各小倉に交代治政された。
不動院は門司半島の南西側、眼下に周防灘がひろがるのどかな田園地にひっそりと佇んでいる。
開基心玉は、地元の豪農の家に生まれるも、文久3年(1863)より度重なる災難を憂え一大発心して僧侶の道を志、日暮谷に資材を投じ、滝行場を開く。 明治32年、京都郡豊津国分寺住職宮本考梁師のもとで修行に励み、この地に高野山大師教会を設立。 大正15年寺号を大分県東国東郡安岐村掛樋より移転。 悪い因縁を断ち切らんと日々精進すると共に、苦しむ人を一人でもお救いしたいとの志高く。 余命をご本尊様にお使いいたし昭和25年96歳の長寿をもって遷化。 その遺志は心快和尚を経て現在の住職に脈々と受け継がれている。 境内には樹齢100年の銀木犀や、銀杏の木が聳え立ち、耳なし地蔵・アゴなし地蔵といった珍しい仏像も祀られている。
1月1日 | 初護摩祈祷会 |
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2月第1日曜日 | 星祭厄除祈祷会 |
3月第2日曜日 | 春の彼岸法要(土砂加持) |
5月 | 弁財天大祭 |
8月28日 | 大施餓鬼会 |
11月第3日曜日 | 紫燈護摩供並に大般若転読法会 |
12月第2日曜日 | 納め報恩法会(四国八十八ヶ所お砂ふみ) |
毎月1日 | 弁財天護摩 |
毎月28日 | 不動護摩 |
宗派 | 真言宗醍醐派 |
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本尊 | |
TEL | 093-481-1044 |
FAX | 093-481-4686 |
住所 | 〒800-0114 福岡県北九州市門司区吉志(大字)171-3 |
アクセス |
九州自動車道新門司インター出口から車で約6分 北九州都市高速大里インター出口から車で約10分 境内駐車場あり |