観蓮寺は元は観琳寺といい、治承年間(1177~1181)平重盛菩提のため、矢瀬主馬佑が建立したと伝えられています。その当時は禅宗の一派だったそうですが、大永6年(1526年)当地の内乱「瑞堅の乱」に依り堂宇も焼失してしまいました。慶長年間(1596~1615)再興しその時から千福寺 観蓮寺と改称し真言宗に改められました。途中数回の無住の時を経て現在に至っています。
本尊は約2mの千手十一面観音で平安時代末期の作と伝えられています。また当山は相良三十三観音第九番の札所(村山観音)ともなっています。札所お堂の右手下に本堂があり、こちらの本尊も千手観音立像であるが金銅仏である。