光明院は江戸時代、杵築城主、松平英親公が杵築藩の裏鬼門除けにと正保2年(1645年)に不動明王を安置し、専ら祈祷三昧であったが、享保年中に至って、三代城主松平重休公の庇護を蒙 り堂舎が建立されて祈祷道場となった。当時は本堂・護摩堂・諸堂・金比羅権現・門等があり寺跡一町近くありましたが、明治初期の廃仏毀釈にあい廃寺同然になりましたが、後に浅野順理住職により復興している。当院護摩堂は、普通の木造ではなく、巨大な岩山の下に開いた洞窟の中に、諸尊が安置されている。本尊の不動明王は本堂に祀られている。境内の洞窟にある護摩道場には不動明王をはじめとする五大明王が祀られている。大師堂には弘法大師、聖寶理源大師が祀られている