秀吉が開いた有名な醍醐の花見の折、秀吉は阿弥陀院の復興の為、石(浄財)を修理させたといわれています。そしてまた、『義演准后日記』にはこんな一節が記されています。「やり山の殿壊、畳運之、阿弥陀院へ遣預之」。やり山の建物を解体するときに、畳を運んで阿弥陀院に預けた、と記されています。住時の阿弥陀院を知る一節と言えるでしょう。
(どうがみね・あみだいん)
阿弥陀院は、今より百年前の明治二十八年十二月十日、京都市伏見区の総本山醍醐寺から、北九州の小倉へ移転してきました。もとは承久元年(1239)醍醐寺山内に建立された塔頭寺院で、後白河天皇の長女覲子内親王、宣陽門院の御願により、成賢座主が開山されたお寺です。後の文正二年(1467)に起こった応仁の乱の折には、醍醐寺も戦火に巻き込まれて、衰退の一途をたどりました。しかしながら慶長年間には、座主義演僧正に帰依していた豊臣秀吉の力によって、醍醐寺は再建されます。阿弥陀院もこの時に再び法灯を回復し、本山護持の務めを果たしています。
秀吉が開いた有名な醍醐の花見の折、秀吉は阿弥陀院の復興の為、石(浄財)を修理させたといわれています。そしてまた、『義演准后日記』にはこんな一節が記されています。「やり山の殿壊、畳運之、阿弥陀院へ遣預之」。やり山の建物を解体するときに、畳を運んで阿弥陀院に預けた、と記されています。住時の阿弥陀院を知る一節と言えるでしょう。
宗派 | 真言宗醍醐派 |
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本尊 | 不動明王座像 |
TEL | 093-651-0704 |
FAX | 093-651-0721 |
住所 | 〒805-0016 福岡県北九州市八幡東区高見5-1-32 |