御詠歌
あらたかな 真言加持の 金倉寺
ちり切り不動は 不思議なりけり
飯塚市の南に拓けた旧嘉穂郡は、遠賀川の支流である嘉麻川と穂波川に挟まれた平野地帯であり、住古は豊穣の土地から成る穀物の積出しが三角州の辺りで行われていた。近世の石炭繁昌期もこの河川が主な要路となり、川船が寄り合う賑わいがあった。
一方の支流である穂波川の堤を東に下った聚落に貴船神社の森が在り、その奥に金倉寺が鎮まっている。貴船神社は水を司る神として農耕民とともに船人の敬信を集めていたが、時代の変遷に信仰も萎えて昔日の隆盛は見られない。
金倉寺がこの地に精舎を構えたのは、大正三年(一九一四)である。当時は弘法大師が高野山を開かれてより一千百年を迎え、世情は慶讃法会に賑わっていた。この機に四国霊場七十六番の金倉寺の修行僧であった渡辺龍真師が真言聖となって諸国行脚の旅に発ち、一夜を貴船神社に参籠したとき村里に疫病が流布していたのを祈祷の法力でもって退散せしめた。